英語独学のメリットとデメリット
英語あるいは英会話を独学でなんとかしたい。
という気持ちはわかる。スクールは高いし(うちは安いよ)、通うのも面倒臭い。
「学校の勉強も割とできたし、勉強法も私なりのスタイルがあるからいけるだろう。」
という人もいるだろう。全く間違っていない。独学でもしっかり身につくのは保証する。
ただし、そういう人がそう考えたときに、1点だけ考慮されていないものがある。
「独学は時間がかかる」
ということだ。
時間はかける覚悟だ。
というかもしれない。
しかし、これは学校の勉強とは違う。いまだに標準化された正しいメソッドがないのだ(そんなものがあれば、みんな既に楽勝でペラペラになっているはずだ)。
この問題を解き、これこれを憶えて、はい、試験に出ました、よかった、できたね、のアレではない。
それよりなにより
「もう学生ではない」
のですよ(大学生だとしても、楽しいことが多すぎて、無理でしょう)。
もう、あの頃のように時間はかけられない。
それでも、何もかも捨ててやってやる!という人もいる(ちなみに、自分はそういう人)。それであれば、独学は
間違いない。
幕末から明治時代にかけて、為政者側(国も、各藩も)では富国強兵のため、外国語を学ぶのが急務であった。その時にメソッドなんてものはない。
何もできない状態で、いきなり外国に送られる。超スパルタ方式だ。
日本の大学とかでも、いきなり難しいドイツ語の本などをどかっと渡されて、それを読めるようになれ!で終わりである。
無茶苦茶だが、しかし、彼らには根性があった。つまり睡眠を削ってでも全てを捨てて没頭し、習得したのである。そしてそれが、ひいては日本の植民地化を防ぐことにもなった。
なんらかを学ぶためのメソッドは大抵、ステップバイステップである。基礎を学び、応用へ。学校の勉強は全てそうだ。数学だったら、足し算、掛け算をすっ飛ばして因数分解にはいかない。
しかし、幕末方式だと、その辺はメチャクチャになる。だからといって悪いとは言っていない。
英語なんて見たこともないそのサムライの前に、本場の普通の英語の本があり。
読め
と言われている。
数学に置き換えると、足し算も知らないのに、いきなり因数分解の問題に遭遇するのだ。
掛け算の九九を覚えているのに、「因数分解いやだぁ〜」とか言っている、甘ったれ現代人の我々とは訳が違うのだ。
「なんじゃこりゃ…」
となるが少しも慌てず、では、何から調べればやっていけるのか…と遡って、結局基礎をやって帰ってくる。するとその通った道は次の別の分野(ステップではない)に生きてくる。最初は”虫に食われた葉っぱ”のような知識の集合体が、だんだん埋まって充実してくる。何度も行ったり来たりしているため、完全に身についてくるのだ。
もちろん、お分かりのように果てしない時間がかかるが、そのかけた時間が無題にならず、しっかり身になる、というのが特徴だ。
YOSHI