コロナ禍さらにStorm Arwen 真っ只中のイギリスでフェスのヘッドライナーを務める。
数時間後にはステージに立つ。ヘッドライナーの責任もある。ここ数ヶ月、演奏の準備は完璧にしてきたが、まさに降って湧いたような Storm Arwen のせいで、どうもそこに集中できない。
まず、チェックインした宿の部屋がボロ過ぎて凍死しそうである。
そして、列車が全て運休、道路も各地で閉鎖、というこの状況で、明日ロンドンに辿り着く方法をすぐにでも確保せねばならない。さもないと帰国できない。
とにかく部屋にいると凍死しそうなので、多少暖房の効いているフロントに降りていき、スマホで情報を集める。この先の被害はどう見積もられているか、バスで行けるか(間に合うか)、列車で大きく迂回する等、他になんらかの方法があるか…???
とはいえ、もはやほぼ詰んでいることはわかっている。
ただ一つの方法はおそらく
「タクシーでロンドンまで」
しかない。ちなみに距離は400km超。日本でいうと、東京から大阪くらいである。
日本のタクシーなら20万円くらいか?まあ、普通の人間が考えることではないし、嵐の中でなかったとしても片道では普通は行ってくれないだろう。
誰か知り合いに頼み込んで、というのも奥の手にはなると思うが、この冬嵐の被害の出し方からすると、命の危険もある。友人を危険に晒すような相談はしたくない。
やはりまずはタクシーを考えよう。お金と引き換えに行ってくれるなら、これはビジネスである。
「ここは日本ではない」
から、可能性はある。
しかし、いずれにしろビジネスとはいえ、この風雪激しい大嵐の状況でロンドンまでって、やはりないか…
まあ、考えても仕方ない。
とそこに、インド人風のおっちゃんが現れた。
ここのオーナーの親戚らしい。朝は厨房に入っているという。
世間話をしてから、「実は…」ということで、状況を話し、知り合いのタクシーがいるか?と聞いてみる。ここ英国では、インド、パキスタン系の人々にはタクシー業者が非常に多い。
するとその場で、次々に電話をかけてくれた。非常に親切なおっちゃんである。
おっちゃんも、さすがに「ここからロンドンまで」とはいきなり切り出しにくいらしく、ちょっとした世間話から切り出しているようだ。会話は英語ではないが、雰囲気でなんとなくわかる。そういう感覚は共通なのか…と、ある意味感慨深い。
相手も、「え?まじか」という感じに反応しているのが、電話の感じで明らかにわかるのも笑える。
いや、笑っている場合ではない。
おっちゃんは値切りもしてくれる。
電話の先では、「想像がつかないし、明日は日曜だし、往復すると大変だし、….」という感じで、「値段はいくら?」と言われてもなんともいえなさそうであったが、なんとなく£600あたりで落ち着きそうであった。ただし、「まあ、仮に行くとしたら…」というニュアンスで、それは「行きたくない」という意味であろう。
それでも、我がおっちゃんは果敢に計3人のタクシードライバーに連絡し、十分な成果を得た。
3人のうちの1人は「まあ、ちょっと考えるのでまたかけてよ」であり、他の2人は明らかに「でもやっぱ行きたくない…」であったが、おおよその料金が見えた。しかも「XXXXタクシーとかならもっと安く行くと思う」という情報を得たのだ。
おっちゃんは、すかさずその候補のタクシー会社に電話をかけ、ついに
「£500で行けると思う、ただし、明日の天気によるけど…」
という、タクシー会社の返答を得た。
おおおお!!!!
そして、明日の朝7時くらいにタクシー会社に電話をして、その時に手配を確認する、ということになった。天気によっては、もちっと出してくれ、とか、やっぱ無理、になるかもしれないが、その時は仕方ない。
あとは信じるしかない。ともあれ、大きな仕事が片付いた。
そしてやっと今夜の演奏のことを考えられるようになった。
あ、とりあえず飯を食おう。体の中から温めないとあの部屋で凍死だ。
そういうわけで、我々3名は雪の降りしきる中を外に出た。歩道はガタガタで雪と水たまりで歩くところがないほどだ。暗いし、寒いし、風は強いし、一向に進めない。
ひとしきり歩いたが、店がほとんどやっていない。
まあ、そりゃそうか。
しかし、幸いカレーのデリと小さなグローサリーが開いていた。
またカレー?!
と思ってくれた読者がいたら素晴らしい。毎回読んでくれてありがとう。そう、今回のツアー中、少なくとも自分は毎日カレーを食べている。
宿に戻り、部屋で食べたここのカレーがめちゃくちゃ美味かった。
さっき、おっちゃんが「ヒーターのこと言っといてやる」と言ってくれたのが伝わったか、部屋が多少温まってきたし、カレーの医食同源パワーでやる気が出てきた。
今回の旅は、インド、パキスタン、イランあたりの人々にかなり助けられている。
楽屋入りする時間になったので、会場へ向かう。歩いても行けるのだが、雪水の中を泳いでいくような感じになりそうなので、早めにタクシーを呼んでおいた。
タクシーの運ちゃんは白人で、たぶん地元の人であろう。これから出るフェスのことも知っており、そうか、これから演るのか、などと話しながら荷物を積みこみ、乗り込むと
「あー、マスクなんかとってとって!」
とくる。
実は今回のツアー中、白人のタクシー運ちゃんは皆例外なく、必ずこの対応であった。「水くさいじゃねえか」という感じの口調ではあったが、あとで思えば、犯罪を警戒してのことだったのかもしれない。
会場に到着。場外にいくつか屋台が出ていて、食べ物を売っている。豪快に火を焚いていたり、一面の雪景色と合わせて、これはつまり
”冬フェス”
なのだ、と思った。
日本のように、命の危険がない夏の海や山でチャラチャラやっているのとは趣が違いすぎる。
だいたい、いま来ている冬嵐 Storm Arwen はスコットランドとイングランド北部を中心に、日本でいう大型台風直撃以上の被害を出しており、まさに今その真っ只中である。うちらの演奏が終わった頃には車が立ち往生するほどの積雪になる危険さえあるのだ。
英国でのミュージックフェスティバルというのは、日本人の想像をはるかに超える重要なものなのである。
コロナで2年近く延期されたというのは、彼らにとってあまりにも辛い仕打ちだったに違いない。
ちなみに、英国人の彼らにとって非常に重要なものといえば
PUB
がある。
日本で言えば居酒屋と思うかもしれないが、本質的に全く違う。
PUB とは Public House つまり、みんなのお家、交流の場である。ここに行けば友人に会える、友人ができる、喧嘩もする(自分の演奏中に喧嘩が始まり、警察が踏み込んできて、その2名が取り押さえられたことがある)。
とにかく、彼らにとっては PUB はもう人生の一部であり、身の危険を冒してまでも「行く」場所だ。
こういうジョーク画像がある。ジョークというか、まさに本当だから面白いのだが。
遅くなったがここで、ワンポイントレッスンをしよう。
I’m still going to the pub.
冠詞の話だ。なぜ a ではなく the としているのか。
これは今話しているパブが「行きつけ」だからである。特定のパブなのだ。
では、a としたら間違いなのか?
もちろん間違いではない。しかし、意味が異なる。
I’m still going to a pub.
a の場合は今どうしても行きたいのが特定のパブということにはならない。
「とにかく、パブならなんでもいい!」
「ああ、飲みたい!」
「どこでもいいから行く、うおー!」
ということになり、この大雪の中、あてもなく出て行くという、まさに「アル中」の状況となる。
冠詞というのは日本人にとっては難しいが、実はニュアンスを決定するのに非常に重要というか便利なものなのである。
さて
そういうわけで、楽屋入りした。
ここは以前にも2回演奏している場所なので、関係者やお客さんも半分以上は知り合いのようなものである。
かなりの知り合いが楽屋に顔を出してくれる。これだけの人数がいるとコロナを持っている人の数も相当なものになるので、非常に危険なのだが、もうこちらもスイッチが入っているので、普通に交流する。久しぶりの友人たちの顔を見るのは非常に嬉しいものだ。
そして、ステージに上がった。
「コロナ禍の英国で、日本人がフェスのヘッドライナーを務める。」
という、まあ間違いなく、後にも先にも歴史上1回しか起こらなそうなことが実現した。
tbc